「10年後に5割の仕事がなくなる」と話題になったりしたことがありました。
基本的に私も同じ考えです。
ご推察の通り、コンピューターやロボットの台頭ということが大きな要因のひとつです。
(まあもちろん、新たな職業も生まれてくるでしょうから、単純減ではないかとは思いますが…)
さて、実は私は作曲なんかもしています。
高校生の頃から作曲の勉強を始めて、まがいなりにちょくちょくやってまいりました。
で、そんな僕としてはこの状況ってものすごく恐ろしいんですよ。
なんだか、「音楽とかこういう世界はその論は関係ないよ」なんていっている人もいます。
よくそんなのんきなこと言ってられるなあと。
音楽に限らず芸術分野を始めとするクリエイター・アーティストの世界もうかうかはしていられないと思います。
ことこの「作曲」という世界はまさに「創造性」が問われる世界だから、
一見するとコンピューターなんて参入して来れないと思われるでしょうが、とんでもございません。
なんで作曲家はいなくなる?
正確に言えば「職業作曲家」と呼ばれる人は生活出来なくなる人が増える。ということです。
「作曲家」なんてのは資格がある訳でもなし、名乗ったもん勝ちですから母数自体は減らないかもしれません。
が、作曲家というのは「誰かに曲を買ってもらう」ことで生計を立てているわけで「雇う側」ー「雇われる側」、「依頼する人」–「される人」という構図が当然出来上がります。
じゃあ「雇う側」「依頼する人」がオーケストラなど文化団体であれ、テレビ局など商業世界であれ、彼らも「商い」としてやっている訳で、「勘定」がある訳ですよね。
コンピューターが「作曲」というフィールドにも参入してきて、それなりの仕事をしてくれるようになったとします。
そこそこの曲を低コストで作ってくれる人がいた時、彼らが果たして「感情」を取るか「勘定」を取るのか…笑
作曲という行為はコンピューター向きである所以
作曲なんていうのはある意味では統計学に近いと思います。
語弊がないように言っておきますがデータ処理だとか言っている訳ではありません。
曲を作るということは、パターンであったり理屈の上に成り立っている訳です。
鼻歌だって同じです。どこかで聞いたことある曲なんかが絶対影響していてるもんですし、その「音楽」に馴染んでいるから作れるんですよね。
西洋音楽に馴染んでいる我々がアフリカなどの民族音楽を作るのは難しいですよね。
「ドレミ」なんていう音階が無い訳ですから。
つまり「馴染む」ということは、そのジャンルをたくさん見聞きしていて、どれが良くてどれが悪いみたいな物差しが出来ているということです。
とするとやっぱり作曲は「統計学」に近い訳です。
ありとあらゆるパターンをインプットして、分析し、その中の良いと思われるパターンをアウトプットする。
極論を言えばこんなところです。
で、これってコンピューター大得意なやつじゃないの?ってなるわけですが、そこで下の表を見て下さい。
仮にコンピューターに10万曲インプットしたとします。
彼らはその中から規則性や法則などを見抜き、いわば「理論」の部分は完全マスターします。
で、例えば「100万枚以上売れた曲」とか「100年以上演奏されている曲」などの基準を設けて検索・解析させたり出来ますよね。
彼らはそのパターンなどをまた学習出来ると、それも数値化して無限に。
で、具体的にどう曲を作るかというと。
ドという音があった場合、次に来るのは「レの4分音符」がいいとか「ミの8分音符」を持ってきてみたりとか、彼らの学習した中で全てのパターンを演算して、一番良いパターンをつなぎ合わせて音楽を生み出すんでしょう。
確率の「場合の数」みたいに途方もない作業ですが、スーパーコンピューター「京」なんちゅうバケモンがいる今はこのくらい容易いと思います。
一方の私…
というと、せいぜい頭に入っている曲の数なんてあって1万曲。増やせて数百曲。
で、多少の理論と、今までの経験と感覚を頼りに曲を作る。
人間なんで短期決戦でもない限り1日18時間が作業時間の限度でしょう。
で、いわゆる「生みの苦しみ」ってやつで反動もデカい。
その間もコンピューター君はフル稼働ですからね。
しかも文句も言わない。笑
例えば商業的なものとか、BGM程度のものであれば「芸術的完成度の高さ」なんてそこまで求められてないわけですよね。
さらに全体的に「ファスト風土」「ファスト文化」のこのご時世にどっちが見合っているかと言ったら…
と、思ってしまうわけです。
(これは「雇う側」も経験した私はどうしてもそう考えてしまうだけなのかもしれませんが…)
そうはいっても人間にしか出せない味があるだろ
そうは言っても人間でしか出せないものがある。
もちろんその通りだと思います。
ですが、それも時間の問題な気もします。そんなものだって計算してある程度のものはプログラムとして組み込むことは容易いと思います。
わざと「ハズしたり」「ズラしたり」というんでしょうか。
演奏みたいな肉体的な動作を伴うものをロボットが「らしく」行えるようになるにはまだ時間はかかるとは思います。
そもそもとして、「人間らしさ」って何なんでしょう。
それも明言出来ないのにどうしてコンピューターやロボットに太刀打ち出来ると言い切れるんでしょうか。
僕はこういう考え方はある種傲慢だと思います。
いつか巣食われる日は来るでしょうし、そうなったら今度は彼らを追いやるかもしれません。
「A.I」というスピルバーグの映画がありましたね。原作はあのキューブリックなんですが、あの頃に既にそうなる世の中を見抜いている訳です。
「創造」が人間しか出来ないことだと思うのはエゴじゃないでしょうかね。
芸術なんていう世間一般で「高尚」とされるものに携わっている人がそう考えてしまうのは無理もないとまあ思います。
でも自然の生み出す景色や動物の営みの中に「美」や「芸術」をさんざん感じてるじゃないですか。
コンピューターはなんで違うんでしょう?
人間が生み出したものだから?
そんなんますます傲慢な考えかたですよね。
最後になりますが、人間が生み出す「何か」。それは絶対にあると思います。
その「何か」を僕は解明したいと思いますし、それが分からないでやっていては「なんちゃって」になっちゃいますしね。