多くの人が劇場に足を運ばないのは恐らくいくつかの理由があります。
そこにはなんらかの障害があるわけです。
その「障害」はなんなのかと、芸術関係者は躍起になって考える訳です。
そして大抵の場合「チケットが高いから」という結論に至ります。
が、はっきり言いましょう。それは間違いです。
チケットが安かろうと、来ない人は来ませんよ。
現状に甘んじて特になにもしない団体はそもそも論外ですが、
考えた末に「チケットのディスカウント」ではちょっとナンセンスです。
だってあなたがもし、「エステが今なら3,000円」とか「五木ひろしのコンサートが4,000円」とか言われて行きますか?
行かないですよね。
興味がなければ、人は価格が安かろうと行かないんですよ。
なぜなら「時間」がもったいないから。
経済用語では「機会費用」と言いますが、自分が支払っただけの「価値」を手に入れることが出来るとは思えない訳です。
そして、皮肉なことに「チケットが高いから」と思っているということはある意味で「その金額に見合う価値がない」と暗に言っているに等しいのかもしれません。
そもそも価格とはなんなのか
「価格(Price)とは支払った金額のこと、価値(
Value)とは手に入れたもののこと」(ウォーレン・バフェット)
「金額」=「価値の対価」
チケットのディスカウントが何故ナンセンスなのかということをもうひとつの側面で考えてみます。
そのためにまずは、「価格」とはなんなのかという点にひとつ触れてみましょう。
価格というのは、いまの時代に則して言えば「金額」つまりお金の額のことです。
では、お金とはなにか…。
お金、つまり貨幣と言うのは「価値の尺度」にすぎません。
「価値」と「価値」を等価交換するためのただの媒介です。
わかりやすくいうと、かつては物々交換だったので需要と供給のみで成り立っていたわけですね。
「お前の釣った魚を5匹くれ」
「なら、お前のその草履をくれ」
みたいなノリです。
ですが困ったことに、色々問題がある。
例えば、魚は腐っちゃうし、必ずしも自分の持っているものを相手が欲しがるとは限らない。。
が、客観的に価値の尺度を表す貨幣が生まれ「値段」が付けられたことで、魚5匹=500円=草履という交換が成り立つようになったと。
そして大事なポイントはココから。
彼らはともに500円を払いました。
でも彼らは500円相当のものが欲しかった訳ではありません。
彼らが欲しかったのは…
「魚5匹食べたら空腹が満たされるかもしれない」
「草履で寒さがしのげるかもしれない」
という状態や価値を買っている訳です。
つまり、そこに信用や期待を置いて500円を払っている。と。
とすると、大事なのは「いくらなのか」ではなく「どれくらい満足度が得られるか」
これがいわゆる「顧客満足度」っちゅうやつです。
「金額」と言うのは「価値の対価」であり、「価値」とは「満足度」や実際に得られる「便益」なわけです。
であるならば、「チケットが高い」と感じるのは、それすなわちそ金額に見合う「価値」「満足度」を提供できていないことに他ならないのです。
結論:満足度を高めれば必ずしも値下げする必要はない
そもそもなぜ「高い」と感じるのでしょうか。。
さきほど「状態」や「価値」を手にしたいがために「信用」や「期待」を込めて買っているという話をしました。
「チケットが高い」と感じるのは、この「状態」や「価値」がイメージ出来ていないからに他なりません。
「このチケットを買って、公演を観に行ったことで得られるもの」が分からない訳です。
ですから、そこのストーリーをもっと見せていかなければいけない。
でなければ、ラグジュアリーホテルや高級フレンチがあんなに栄えたりはしませんよね。
彼らは「高くてもいつか行きたい」と思わせることに成功しています。
質の高いサービス、美味しい料理、上質な時間・空間、客層の雰囲気…
そういったものがイメージ出来るから、それを求めて、あるいは憧れて人々は「高い金を払ってでも」行きたいわけですよ。
そんなことをふまえると、安易にチケットを安くするのがもったいないことが分かってきませんか?
たしかに、単発的に集客を上げたいとか、数千円下げることで観れるという客を呼び込むには有効な手立てではあります。
ですが、芸術分野を活性化する為にという意味においては、さほど重要なポイントではないように思えます。
「値段を下げる」というのは最後に考える手段であっていいのではないでしょうか。