今日は、ちょっと理屈っぽい話です。
というより、頭の固いお話。
ですので、興味の無い方は時間がもったいないので他のページへお移り下さい。笑
よく耳にする「音楽は国境を越える」という言葉についてふと感じたことを書いていこうと思ってます。
始めに一応言っておきますが、普段からこんなことを考えてるわけではありませんし、基本的には気楽なスタンスです。
し、音楽が嫌いなわけでもありません。むしろ大好きです。ほんとにありとあらゆるジャンル。そんな深い意味でこの言葉を使ってないってのは重々承知しております。
でも、いわゆる「音楽やっている」人の自己傾倒というか「音楽マンセー」「音楽万歳」みたいな盲目的狂信的思考人とは一緒になりたくないからこんなこと考えるのかな。笑
国境を越えるとか越えないとか正直どうでもいい
さて、今日の話は「音楽は国境を越えるのか否か」
…
なーんていうお話ではありません。
その越える越えないとかいう議論がもうどうでもいいやん、といった話です。
音楽に国境がないなんて当たり前じゃないですか。
そもそも「国境」なんてもんは便宜的に分けてるだけですから。
「音楽に境はない」ならまだ分かるんですけどね。
音楽についてことさら言ってますけど、別になんでも国境なんてないだろう。
それを言うなら美術だって国境を越えるんじゃないの?って言いたくなるんですよ。笑
自己満なだけじゃない?
かなり乱暴に分けるとすると、この「音楽は国境を越える」という言葉は2つのニュアンスで使われます。
ひとつは、政治的な意味。
そしてもうひとつが言語的•文化的な意味。
前者は、ベルリンの壁を越えて一緒に第九を歌った、とかで、
後者は、旅先で言葉も通じない相手に自分の歌が伝わった、一緒に音楽でセッション出来たとかそんなとこですかね。
うん、まあだから結局は「国境」が何を差しているのかという話なんですね…。笑
(それはここでは長くなるので突き詰めませんが…)
音楽が(政治的)国境を越えた、なのか
音楽が(言語的)国境を越えた、なのか(文化的)国境なのかうんぬん。。
で、大体の場合は後者の言語的な観点で使用することが多いのかなと。
さて、ではどうして僕が「自己満じゃない?」と思うのか。
それはですね、そもそもこの言葉をつかう時点で自分優位的な意味でのことが多い。からです。
分かりにくいですね。笑
なんというんでうかね、これはあくまで僕の偏見なのでご承知頂きたいんですが、
「こっちのものがあっちに伝わった」という意味がほとんどで、
「むこうのものがこっちに伝わった」っていう風な使われ方はほとんどないんじゃないのかなと。
具体的に言うとですね、かなり適当な例ですが、
「アメリカ留学した時に、世話になった人の家でピアノ一緒に弾かせてもらったんだよ。しかもさくらさくらを知っててさ、連弾したんだよ」はよく聞くけど、
「俺、中東旅してる時にさ、イスラム教の教会から聞こえてきた賛美歌がさ、アラビア音階っていうの?琴線に触れちゃってさ、思わず教会飛び込んじゃった」なんて話を耳にすることはまずない。
そんな気しません?
こっちの音楽の良さが分かってもらえたは聞くけど、逆にむこうの音楽の良さがわかったという意味で使うことはまれですよね。
って思うとですね、(文化の違いなどから)「およそ伝わらないであろう相手」に良さが伝わった場合に感銘を受けているわけですよ。
とすると、そもそもその相手に対し「伝わらない」ーつまり、「こいつにはわからない」なんて思っている部分があるわけなんじゃないかなと。
なんて考えてみちゃうとこの言葉を使ってるひとをみると。ちょっと自己満な人なんだなとか自分優位、本位とも取れなくないよねって思うんです。
ひねくれた考えだとは分かって言ってますけどね。笑
少し話しは変わりますが、音楽なんて所詮「良いか悪いか」だけだと思うんです。
国•地域ごとの音楽の違いって言ったって、長い歴史から見れば、あー、とかうー、とか言ってみたり、叩いてみたりしたところから始まったとして、それがたまたまそれぞれの民族性、地域に沿って発展しただけ。
って思うと言語とリンクさせて考えてしまうのも良くないのかななんて頭迷わせてしまいます。
音楽は国境を越えるって果たしてどういう意味なんだ?
あ、別に嫌みとかではなくて、純粋な疑問と言いますか、なんなんだろうなあって。
言語的な違い?
いやいや、カナダとイギリスとアメリカで一緒の歌歌うやん。
それに言葉が生まれる以前のものだって音楽やん。と。
まあこれを突き詰めると音楽ってなに?ってことになっちゃうんでやめましょう。
話してるリズムは音楽じゃないの?とか、さっきの赤ちゃんがあーうー言ってるのは音楽じゃないのとかそういうやつね。
Music has no border.ですからね。Borderを国境とするか否か。
英語で見てみると、もっと深い解釈も出来る気がしてワクワクします。
さてさて、
国境はないなんて言うと、マザーテレサ的な普遍的、被差別的な雰囲気あるけど、むしろ正反対なんじゃないかと思っているわけです。
だってそもそもそんなことを感じるということは、何かしらの隔たりを感じていたということの裏返しだし、もしくは隔たりを無意識の内に作ってたってことですから。
まあ、つまるところ、自分の物差し•フィルターで見ることがどれだけ危ういかというコトですよ。
そしていかにそう見てしまっているのか、と。
「音楽は国境を越える」ということに関してこういう視点もあるわけですからね。