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ブレイクスルーを起こせば、人生ごぼう抜き

アートプロジェクト

音楽

「アートプロジェクト」ってなんか歯がゆいってのとアートに関わる人へ持って欲しいモノ


最近ちょくちょく「アートプロジェクト」という言葉を見かけますね。

アートプロジェクトってなんなんですか?
不思議なことにアートプロジェクトと呼ぶだけでなんとなくセンスいい風なことをやっているように見える。

言葉尻をとらえるようで申し訳ないんですが、「アート」って何を言っているんでしょう。
「プロジェクト」って何をどうするプロジェクトなんだろう。

どうにもこうにもブラックボックス的匂いぷんぷんな言葉だなと個人的には思っています。

 

「プロジェクト」っていうとそれなりに壮大な目標達成のための計画みたいな気がするんですが、、、。

 

僕にはあいにく馴染みのない言葉ですが、携わる人間にとっては「アートプロジェクト」という言葉は市民権を得てるんですかな。きっと言葉だけが独り歩きして、すでにネームバリューとして確固たる地位を築いていているんでしょうね。

 

まあそれはそれで表現でメシ食っている方たちがこんな乱暴に言葉を扱っているのはどうかなと思いますよ、はい。

 

とは言いつつ実社会に生きる人間として、言葉のイメージだけで頭ごなしに否定するコトも出来ませんので、一応どんなもんか調べてみました。その上でいち個人として思ったことを書いていきます。

 

※基本的に否定してるわけではなく、なにか新しい動きが起こったり行動することはいいことだと思いますし、応援したいですよ。ただ、どうせやるなら上手くやって欲しいなってだけ。

アートプロジェクトがなにかは結局わかりませんでした

アートプロジェクト 取手出典/http://onkan-project2.com/2010/tap.html

地域再生なの?作品発表なの?それともその両者をマッチングさせたものなの?

 

アートプロジェクトというのは芸術祭のことを言っているのかと思っていましたが、どうやらそうでもないみたいです。

たしかに、瀬戸内アートプロジェクトとか隅田川アートプロジェクトとかあるみたいで「○○アートプロジェクト」(地域名)+アートプロジェクトという使われ方をしているようですね。

 

なるほど、とするとなんらかの地域の課題を解決するものなのかですかね。
手段の目的化だけは大嫌いなのでとりあえず定義や理念みたいなの、調べてみました。
それっぽくいうとミッションってやつですね。

 

が、結論そういうものはないみたいです。。

 

トヨタが運営しているアート系の情報サイトで「ネットTAM」というのがあるんですが「アートプロジェクト事始め」(記事はコチラ)という芸大の教授が書いている記事がありました。

アートプロジェクトが何かはわかりませんでしたが、
それを参考に見ていたらちょっと思うことありましたのでツラツラ書いてみようと思います。
(以下の引用は全てネットTAMからの転載です。)

これが事実なら甘ちゃんすぎて反吐が出ます。

アートプロジェクト

全体的に杞憂であればいいのですが、この記事に書いてあるコトが本当ならいかがと思いますぜ?

 

アートプロジェクトという言葉、最近時々見かけるような気がしませんか?メディアなどでは、ちょっとアートっぽい企画を呼ぶときに便利に使われていたりして、あれもこれも「アートプロジェクト」。ウィキペディアで検索しても、全国の数多くの文化事業らしきものがヒットするばかりで、誰も定義を書いてはいません。どうも、誰もが勝手に使っている、現在成長中の言葉のようです。

 

なるほど、やっぱり曖昧なまま使われてしまっているんですね。
で、当事者の中にはその認識もあって、ちょっと困っているという側面もありそうですね。

 

定義なんて堅苦しいことは本に任せておいて、要するにアートプロジェクトは、みんなでわいわいがやがやとつくるもの、これが最大のツボです。美術館やギャラリー、音楽ホール、劇場など、専門の文化施設ではなく、野外や生活空間のなかに表現が出現することが多いのが、アートプロジェクトの第一の特徴です

 

我が国唯一の「国立」総合芸術大学である、東京芸術大学様のご教授が定義出来ないならお手上げです。(まあもちろん、「頭固い」とか思われないようにくだけて言っているのはわかってますよ。)

でも定義がないのにその言葉だけ乱用されているのであれば、まあ怖いですよね。

 

と、いうのもやっぱりね、てんでんばらばらな方を向いてたら効果半減してまいますから
(てんでんばらばらって、文字にするとなんかかわいいですね。どうでもいいことですが)
例えばよく言われるように、「赤色」と一口に言っても人それぞれ違うわけでして。。
それと同じリスクがあるかなと。

 

「海再現プロジェクト」と銘打って、

 

 

「グラス片手にハンモックに横たわり眺めるハワイのビーチ」

 

 

をイメージする人がいれば、かたや

 

 

「ワンカップ大関片手に眺める葛飾北斎の絵のような波が立つ玄界灘」

 

 

をイメージする人もいるかもしれないですからね。
水着のバカンス風なモデルが来ると思ってたら、学ランを来た両津勘吉が現れたみたいな。

 

曖昧な言葉を使うというのは、そのくらい効率が悪くなることだと思うんですけどね。

 

まず、「みんなでわいわいがやがや」というと楽しげですが、関係者が多く、意見もさまざまとなると、現場の様相はケンケンゴウゴウ、カンカンガクガクの連続です。最初の難関として運営に立ちはだかるのが場所決めで…

うん、まあ遊びじゃないんだからアタリマエですよね。
仕事してりゃこんなんしょっちゅうあるじゃないですか。

まして、『コトを起こそう』ってんですからね。
一人じゃできないんだからしょうがあるまい、文句言うな。

まあそれも含めて楽しい訳ですけど。

ここでわざわざ言及するということは、「なんとなく楽しそう」みたいなノリでやっちゃて痛い目見る人が多いのかもしてませんね。

 

何より「こうしたい」(目的)→「だからこうするんだ!」(手段)っていう流れもヴィジョンもないからアカンのですよ。

市民のみなさんの協力を得て企画運営側がピックアップした場所にアーティストが難色を示す、逆に、アーティストがまちを歩き回ってここだ、とインスピレーションを受けた場所に行政がうんと言わない、町会が眉をひそめる、警察や消防の許可を得られない…などなど、一筋縄ではいかないのが常です。いったい誰から説得したらいいのか、根回しに軽く1か月が過ぎていきます。開催3か月前、そろそろプレスリリースを出したいと広報にせっつかれながら、交渉が続きます。

「やらなくてもいいこと」をやるわけですから、うんまあ当然ですよね。

むしろ根回しが1ヶ月って短くていいじゃないですか。
森ビルなんて六本木ヒルズ計画で地権者の理解得るのに17年かけてましたよ?

そいと、プレスリリースが3ヶ月前とか人呼ぶ気あるのかー。
3ヶ月先のスケジュールってみんな意外と埋まってますけどね。

届けたい地域の人びとの顔を必死で思い浮かべながら、アーティストの突っ込みの嵐に七転八倒して、ようやく方向性が見えてくると、次は主催各者への説明です。ここでは、社会的な意義や実現可能性が問われます。地域に何をもたらそうとしているのか、区からはその戦略と戦術が明確かつ有効なのか突っ込まれます。東京アートポイント計画からは、はたしてそれが実現可能なのか、資材調達、人員、予算、時間などの可能領域など、運営の力量を突っ込まれます。おぼろげなプロジェクトの絵図が、揉まれに揉まれ、現実的な路線が探られます…というと、カッコいいですが、実際の現場担当者の感覚としては、企画の運営を進めているなかで、突然あらぬところから横やりが入る感じです。

あなたの自己満足でやってるんじゃなくて、「地域再生」という名目で公共性を持ってやっているなら当然ですって。

 

そこには少なからず、血税が投入される訳で。

 

むしろありがたいことだと思うんですけどねー。
あなたが百戦錬磨の企画屋さんならいいですけど、アート関係者ならまあそうではないですよね。
そこにプロが意見を言ってくれるんですから。

 

それに、よくある「自然とアート」みたいなオブジェを置くようなやつをやったとして、それが自然や生態系に影響を与えたとしてあなた責任取れるんですか?

 

届けたい地域の人々はそれを望んでますか?

地域の人々になにを届けたいんですか?

 

全く同じ質問すると思います。

 

でもそれは別に。本気度を見たりしてるだけで、意義があると思えば多少の犠牲を払っても協力しようってもんですよ
その証拠に門前払いくらっているわけじゃないですか。
(ちなみに別に生態系がどうとかそんなことは思ってませんよ?)

前向きにポジティブにとらえれば、同盟組んだ仲間みたいなもんすよ。たぶん。

たとえば良く揉めるのがチラシのデザイン。台割や掲載内容の文言の案を事前に諮っていたにも関わらず、デザインに落とし込んで形になって見えてきた時点で、「これはないんじゃない」というたぐいのNGが各方面から出てきます。ダサい、企画の軸がぶれているというディレクター。字が小さくて読みにくいという行政。「誰に何を伝えたいの」と蒸し返すプロデューサー(私)…。企画担当や広報のスタッフは、これまでの作業が徒労に思え、いったい、誰のいうこときけばいいのよ!!! と、投げ出したくなる瞬間です。

「企画の軸がぶれている」とか「誰に何を伝えたいの」とかたしかに言われるとウザいですよね。

 

でもですね、言ってもらえるなんて嬉しいじゃないですか。
これが言ってもらえないのはそれはそれで怖いことですよ??

 

プロジェクトをより良く成功させるためには厭わないですよね?
ぐっとこらえて下さいよ。

それに、チラシは集客のためにあるんですから、「字が小さくてダメ」ってのは正論ですよ。

 

目標達成のために言われてることなのに、もし「なにか言われたら自分が否定された気がしてイヤになる」ってなら本気で達成したいものじゃないんじゃないんです?

 

ほかにも悩みは山ほどありますが、最後に重要な課題を指摘し
ておきたいと思います。第一に人材不足ですが、これは文化活動全般に共通の劣悪な労働環境に起因します。これまで述べたように、理不尽とも感じられる業務のなかで、スタッフにはただならぬ情熱が求められます。「魂かけて、社会保障なし」という職場なのです。もちろん、社会保障完備で魂はかけない、ではアートプロジェクトどころか文化活動が成り立つのかどうかおぼつかない気もしますが、さまざまな局面で関係者たちの板ばさみとなるアートプロジェクトのスタッフには、現状よりもっと報われる労働条件が与えられるべきではないでしょうか? そうでないと、良い人材が集まる業界には育たないと思います。

うーん、だったらやるなよというだけの話。

この教授は関わる人たちを心配してか、あるいはそこに後ろめたさがあるのかまあ立場ある人間として優しく言ってくれてるんでしょう。その枠組みを用意するのは確かに必要だと思います。

でもいいんですよ、当事者がやりたくてやってるんであれば。

 

それに「労働」とか思っている時点でアウトでしょ。
そんな風に思って取り組んでいるものに誰が行きたいと思うんですか??

 

そんなん誰も得しなくて虚しいだけなんでヤメチマエー。

 

もちろん志だけではメシは食えませんが、お金って対価としてもらってるんであって、それが公にとって意味のあることであれば対価して金銭はもらえるはずですよ。

苦しくてもその先に実現出来るものを信じてるからやるんじゃないの?
それにワクワクしていることが原動力なんじゃないの?

それを理不尽とか言うなら「プロジェクト」とか言わんでくれよ、恥ずかしい。

 

仕事なの?私事なの?志事なの?ってヤツですよ。

結論、いっそ「おれぁ、この町をキャンバスに作品を作るぜ!」と言ってくれた方が清々しい

アートプロジェクト

語弊だらけでかなり偏った見方をすれば、

「発表の場がないアーティスト」が外に作品発表の場所を求め、
「地域の特性も生かしきれない自治体」がそれに手を伸ばした。
というお互いがいい塩梅で手を組んだものとも言える気がしてまいます。

 

そうじゃないことは百も承知です。
でもそうとも思えてしまうということでもある。

 

拠り所にしている「地域再生」とか「経済効果」なんて所詮副産物なんだから。
それ言ったらAKBとか嵐のコンサートを誘致した方が良い訳でしょ。

 

「地域再生」もアートである必要はない。

 

し、田舎の大自然であれば手つかずでも芸術的作品のようなものですよ。

 

「アートが社会に何が出来るのか」とかいうのも、なんとか自分たちを正当化しようとしてあくせくしてるようにしか見えないですよ。

なんでしょうかね。

 

もっと図々しくしていてほしいなと。

アウトローにさ。

 

この経済的で合理的な社会の中、そういう生き方が許容されているのって、
それでも「その人の創造性」や「生み出す作品の価値が高い」(ハズ!)と認められているからですもんね。

 

アートプロジェクトでなんかやんなきゃ、と「無理してやっている」くらいならやんなくていいと思いますよ。

 

やりたいヤツにやらせとけばいいんですし。
(もし無理してやっているのであれば、ですよ?)

人それぞれ出来ることは違いますからね。。

 

〜終わりに〜

うだうだ言っているだけで何もしないよりは、やった方が遥かに意義はあると思いますし、世間との関わりを持とうという試みはいいなーって思っています。
ただ、どうせなら上手くやって「さすが。やっぱアートはちがうね」ってみんなに思われるようになったらいいんじゃないかと思う。

 

とりあえず、「アートプロジェクト」って名前使わなきゃいいんじゃないかな。

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