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ブレイクスルーを起こせば、人生ごぼう抜き

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ビジネス

「平成生まれ」の私が「高倉健」から学んだリーダー像。

2014年11月25日


偉大な映画俳優がまたひとり亡くなった。

「高倉健」この人は年齢とかそうした類いのことは越えた存在ですら思えていた。
83歳であったことも驚きである。

スクリーンで生で見たのは鉄道員の8歳の時、ホタルが10歳、単騎千里を走るが中学生の頃。

任侠モノは単館映画館の再上映などに足を運んでは見て、襟を立てて渋い顔をして劇場から出てきたものでる。

もちろん私が「高倉健の魅力」と題して語るのはあまりにおこがましい。
ここでは何故スターなのかという点に触れた上で、「リーダーシップ」とはという点にフォーカスして高倉健について筆を進めて行きたい。

 

高倉健は何故【スター】なのか。


高倉健の映画は、高倉健が出ていることで全てが成立する。

高倉健と言う男がスクリーンの中にいて、その姿を目に焼き付ける。
劇場から出る頃には、自分も高倉健になったつもりで寡黙になってみたりする。

それもそのはずである。

高倉健は本物の「スター」だからだ。

今回、高倉健死去のニュースが日本中を駆け巡ったとき見出しには必ずこの「スター」の文字が枕についていた。

スター。
よく言うが、一体何なのだろう。どんなイメージをお持ちだろうか。
レッドカーペットを歩き、派手な車に乗り、視線を一手に集める…

私が先程あえて、本物のとしたのは、「スター」というのは「スターシステム」による「スター」と定義したいからである。

何故なら、高倉健はこの「スターシステム」の「スタイル」を貫いているからだ。

では一体スターシステムとは何なのだろうか。

スターシステムとは

スター・システムは、多くは演劇・映画・プロスポーツなどの興行分野において、高い人気を持つ人物を起用し、その花形的人物がいることを大前提として作品制作やチーム編成、宣伝計画、さらには集客プランの立案などを総合的に行っていく方式の呼称である。

スター・システムと呼ばれるようになったのは、ハリウッド映画で大スターを中心にした映画制作の手法が確立してからのことである。

ハリウッド草創期の1920年代チャールズ・チャップリンダグラス・フェアバンクスらの映画からこの方法が取られるようになり、1930 – 50年代の黄金期にそのピークを迎えた。

当時は俳優と映画制作会社が専属契約を結んでいた。映画会社はスターの魅力を最大限に引き出すために、脚本、配役、宣伝などを企画した。また、スターのイメージを崩さないよう、私生活まで管理しようとした。(wikipediaより)

スターの挙動に声を上げ、息づかいに酔いしれる。男女問わず銀幕に映るその姿に惚れる。

そうなるべく、作られているのが「スターシステム」による映画である。
作品の企画から脚本や演出まで全てスターに従属し、スターがヒット作を生み出すために存在したビジネスモデル。言ってしまえば、スターがその映画会社を食わせていた訳だ。

それゆえ、スターと呼ばれる役者は(東映•日活など)映画会社専属の俳優であり、時には私生活までもスターであることが求められた。

当時のポスターには必ず、主演俳優の名前が大きな字でタイトルに併記されていた。
なぜなら大衆にとって大事なのは「誰が出ているか」だったからである。観客はスターの名前で映画を選びさえすれば、その期待に答えた映画を見ることが出来た。

まさしくそうした大衆娯楽だったのだ。

そしてそこに書かれていた名前というのが、鶴田浩二、菅原文太、藤純子(現:富司純子)、それから高倉健であった。

高倉健がスターである所以。

高倉健が「スター」であったことは当時を知らない人間でも容易に理解出来たかと思う。

そして、高倉健がスターである最大の所以。
それは、今もなおその「私生活までも統制」するスタイルを貫いた点である。

プライベートは一切語らないというその姿勢。
生涯現役で作品に望むその精神。
83歳になってもなお、鍛え上げていたその肉体。

常に誰かに観られるということを意識していた。

ある編集者が「昔は編集部に新人が入ってきたら“高倉健の散歩姿を撮ってこい”と言ったものです」と語っていた記事を見た記憶がある。

もちろん、散歩しないなんてことはないだろうし、そんなに無理難題ではないことだろう。
が、そんなイメージが付く程に、私生活色を出さないことにストイックだった訳だ。

そのスタイルを頑なに貫く姿が、明治以降も刀を捨てなかった「サムライ」にダブって見えるのは私だけだろうか。

高倉健の職業は高倉健

高倉健は高倉健である。

生涯、「自分は映画俳優である」ということにこだわったと言う。

しかし私は、「あなたの職業は」と問えば「高倉健です」と答える方がしっくりくる。

いまどきの、「軽く手の届く、距離の近いスター」とは次元の違う本物のスター。

高倉健というブランドを確立していると言える。二流の高倉健はいらないのだ。

高倉健に見るリーダーシップの在り方


さてようやく本論のメインである。

高倉健にはリーダーとして学ぶべくものが多くある。
ここではその点について少し考えてみたい。

ずっと不思議なことがあった。
それは、
①「高倉健は嫌いだ」という人をあまり見たことがないこと、
(親しみを込め)「健さん」と呼ばれていること、
③男も惚れ、数々の著名人が心酔していること。

これだけ、人心を集めているのはまさしく理想のリーダー像なのではないだろうか。

そもそもリーダーシップとは。

高倉健がリーダーと聞いて、ピンと来ない方が多いのではないかと思う。

あんな寡黙な高倉健はリーダーっていう柄じゃあない、そう思う方もいるだろう。

それでいいのである。
私が言うリーダーとは、最前線で旗を振り上げ、「皆、こっちだー!!」と鼓舞するリーダーシップでも、威厳や恐怖で皆に行動を強いる織田信長的リーダーシップでもないからだ。

最近読んだGoogleの本(How Google Works )の中にこんな言葉があった。

「マネージャーは肩書きが作る、リーダーは周りの人間がつくる」

まさしくその通りだ。
リーダーとは、もっとも地位のある人のことではなく、チームについての責任をもっとも負っている人のことを言う。集団から大事にされたり、偉そうにしている人をリーダーと呼ぶわけではない。年上だからとか、責任者の肩書きがリーダーを決める要件ではないのだ。

とすると、リーダーとは人に理屈を教える人ではなく、人に行動を起こさせる人なのではないか。

また、抵抗無く人にそのように思わせる人間的魅力を兼ね備えている人間がリーダーの素質ではないのだろうか。

高倉健の場合

  • 「あの人の為なら」「あの人に褒められたらうれしいから」と無意識に思わせるような「魅力的で尊敬される人」
  • 「あの人の為なら」「あの人に褒められたらうれしいから」と無意識に思わせ「行動を起こさせる人」

高倉健はこの2点を見事に体現しており、更にそこに強烈な責任感を持っている。
これこそまさにリーダー呼ぶにふさわしい。

 

人を魅了する要因とそれにまつわるエピソード

①背中で語るに等しいそのストイックなプロ根性

第一は「不器用ですから」に集約されるそのストイックさであろう。

まず生涯「映画スター」であり続けたその姿勢。
そして身体作り。80歳過ぎても70kgを維持し、ウエストサイズもずっと同じという。
更に酒も飲まず、他のスターのようにマージャンやクラブ遊びも全くしない。

それ以外にも…

•極寒地ロケで焚き火に当たらない
•椅子に座らない(真偽は定かではないが、そんな噂が流れてからは座らないことにしたと言っている)
•幸福の黄色いハンカチで二日断食(刑務所から出所して初めて飯を食うというシーンの撮影のため)
•原則1テイク
•役が崩れると言う理由から、親族の葬儀にも出ない
•一本映画を撮ったら数年行方不明になる(必ずすぐ外国に行き数ヶ月ブラリ旅をしていたらしい。)
•八甲田山の吹雪の中4時間待機(遭難シーン撮影時、撮影準備や移動で周囲についた足跡が、遭難しているのに足跡があるのはおかしいと、スタンバイした状態で足跡が消えるまで待機し撮影した。)

こんな伝説的エピソードが数多く残っている。

ここまで魂削っているような人間がいる現場、緊張感が出ないわけ無いだろう。

自己を厳しく律し、そして、自らが決めた目標に対し決して妥協することのない姿を眼前にした人間は、否が応でも背筋が伸びるはずだ。

「この人に迷惑かけるわけにはいかん」
と、行動を起こすことになるのだ。

②細かい気配りも忘れない、おごらないその人格

二点目は「細かな配慮」と「おごらない人柄」という人格的側面である。

これに関しては、死後の報道の中でも関係者のインタビューとともに多く紹介されていた。
映画人としての記録や受賞歴などより、こっちにスポットが多く当たっていたことがそのことを一番良くあらわしている。

細かい気配り篇

あの頃映画 幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010 [DVD]•→北野武
たけしが健さんと初共演した映画『夜叉』の撮影の際のこと。たけしは豪雪の中、深夜に現地入りした。
するとドアを開くと、高倉健がひとり立っており「高倉です、今回はありがとうございました」と花束をもらったという。
20年後に再共演した『あなたへ』のロケでも、高倉健ただ一人だけが駅までわざわざたけしを迎えに行ったという。

•→志村けん
高倉健たっての希望で、鉄道員へ出演した志村けん。志村が映画撮影のために北海道へ行く前日、携帯の着信を見ると、
『弟子入り志願の高倉です。明日よろしくお願いします。寒いですので気をつけて下さい』とメッセージが入っていたとのこと。高倉健は関係者から志村けんの携帯番号をわざわざ聞き出し、吹き込んでいたそうだ。

•→綾瀬はるか
『あなたへ』で初共演した女優の綾瀬はるか。ロケ地となった長崎県平戸での舞台挨拶で、「ホテルの部屋に帰ると、手紙とフルーツの盛り合わせが……」というエピソードを披露。初めはホテルの料理長からだとばかり思っていたが、それが実は高倉健からの贈り物であったという。
また、大河ドラマ「八重の桜」の撮影時には、高倉健にプレゼントされたダウンジャケットをいつも着ていたといい、高倉健への尊敬度合いがうなずける。

•→岡村隆史(お笑い芸人)
日本アカデミー賞授賞式での出来事。
お笑い芸人のナイナイ岡村隆史は主演した「無問題」で話題賞を受賞、その表彰の際に司会者から「将来はどんな役者になりたいですか」と質問を受けた。

岡村は、「将来は健さんのような役者になりたい」と答える。

芸人らしいボケなのか本気なのか分かりませんが、周囲は失笑。しらけた雰囲気になりかけたそのとき、なんと会場に座っていた高倉健が立ち上がり、大きな拍手を岡村に送りました。

「あの場を助けていただいた」と岡村は後に語っています。
更に高倉健はこのとき、岡村に「いつか一緒に仕事をしよう」と声を掛けており、岡村が休養していた時期も励ましのメッセージと本を贈っているとのこと。

そして、数年後の主演映画『あなたへ』で岡村と共演を実現させ、約束を果たす。
(ちなみにこの『あなたへ』のクランクアップの時、現場を後にしようとした岡村に「忘れ物だよ」と声をかけ、かぶっていた帽子をポンと岡村のあたまに乗せ、その場を去ったという男気あふれるエピソードも残っている。

•焚き火(前述の焚き火と同意)
真冬のロケのこと、高倉健は休みの日だったが、ロケ現場へ現れた。
厳冬下であり、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、焚火にあたろうとしない高倉健。
スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えたという。
(このため、スタッフだけでなく、共演者も誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかった。やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができたとのこと)

他にもエピソードはいくらでもあるのでそれは調べてもらえればと思う。
このような気配りや、自ら向かう、自ら行動する、あるいは現場へ足を運ぶというその姿勢に魅了された人は多い。
さらに「あの高倉健が!?」となるから余計にその衝撃は大きいのだろう。

プレゼントであれメッセージであれ、誰かにお願いだって出来るわけだ。
祝い花などのように、スタッフに「俺の名前で送っておけ」とかするのはそこまで不自然ではない。
しかし、高倉健と言う人間は「自分でやる」という点にこだわっていた。いや、こだわるというよりごく自然にそうしており、もはや人格なのだろう。
であるからこそ余計に「あたまが上がらない」のだ。

おごらない性格篇

ブラック・レイン デジタル・リマスター版 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]高倉健クラスのスターであれば、周囲に威張り散らしていたとしても何ら不思議は無い。
が、実際の高倉健はそんなことは無かった。

スターと言えば、椅子に座ってふんぞり返っていて、付き人が飲み物を持ってくる。そんなイメージもあるが、一切そういった話は聞かない。

高倉健は、常に謙虚で、腰の低い純朴なスターであったのだ。

•料理
役者・スタッフの泊まる旅館で、高倉健と監督の前だけ、皆とは違った豪華な料理が並んでいた。これを見て「自分も皆さんと同じ料理にしてください」とお願いしたという。

•エキストラ
エキストラの人たちにも出演者と同様にエキストラか!と言うような事は全く無く、同じ出演の一員として同等に扱っていたことは有名な話だ。
刑務所にいる受刑者役のエキストラに対し「何年ここに入られているんですか?」とジョークを言ってがちがちな雰囲気を和らげたり、祭り用の神輿を作り上げた受刑者が試しに神輿を担いでみるシーンでは、それぞれに役割を振り高倉健自ら丁寧に演技指導されたという話も残っている。

•最敬礼
ある放送局のAD20歳のアルバイトの話。

ロケが始まった日のことで「おまえ、高倉さんをホテルまで迎えに行け」命令されたという。
「えっ、と思いました。ひとりじゃ嫌だなあ、周りにお付きの人がたくさんいるだろうし、無作法をして怒られたらどうしようと…。」
でも、ホテルに行き1階のエレベーター前で待っていたんです。やがてエレベーターが来てドアが開いたら、あの大スターの高倉健がたったひとりでエレベーターに乗っていんですね。

呆然としていたら、私のそばに来て、「高倉です。よろしくお願いします」とお辞儀をされたんです。
直角です。
90度の角度ですよ。

あわてて、私がごにょごにょ言いながら、なんとなく頭を下げたら、高倉さんは不動の姿勢で下を向いていました。
「はたちの何もわからないガキに対して、最敬礼して、ちゃんと尊重してくれる。そんな人初めてだった」と衝撃を受け、その後の生き方が多いに変わったらしい。

ポイントは他評であること

何が一番驚きかと言うと、全て他人が語っているエピソードである点だ。

高倉健が自ら語ったわけではない。
リーダーは他者評価によって作られるというのは前述の通りだ。
ある意味では、周りの人間が「高倉健」という人間を生み出したといってもいいのかもしれない。

高倉健はおそらく、「作品」や「現場」あるいは「高倉健」という存在に対して最も責任感を持っていたのだと思う。
理屈でも能力でも技術でも結果でもない、責任。

「責任は自分が負っている」ということを周りは何となくでも直感的に感じ取っているから、その愛情が「信に足る」ものとなり、「このひとなら信用出来る!」と本能で判断しているように思える。

一方で周囲の人間はそれを見ておおいに慕い、「このひとのために!」「この人に迷惑をかけたくない!」「この人のが少しでもよく見えるために尽力したい!」「あのひとに褒められたい!」と最高のパフォーマンスを発揮するのだ。

このようなチームづくりを自然としてしまっている高倉健には、リーダーの素質が備わっていたと言ってまず間違いないのではないか。

 おわりに〜高倉健のリーダーシップは老荘思想!?

末筆ながら、ここまで書いてきて老子の語っている君主論について思い出したので紹介したい。
老子の言う理想のリーダーが高倉健に極めて近いと思えた。

それは「老子道徳経」の17章にある以下の文である。

太上は下之有るを知るのみ
其の次は親しみて之を誉む
其の次は之を畏る。其の次は之を侮る。

信足らざれば、信ざらざれる有り。
悠として其の言を貴くすれば、功は成り事は遂げられて、百姓の皆、我らは自から然りと謂わん。

簡単に解説すると…

老子によれば、リーダーとして最悪なのは部下にバカにされる人。
次に良くないのが、周りから恐れられるリーダー。
3番目にダメなのは、親しまれて敬愛されるリーダー。

最も理想的なのは、自分の存在を意識させないリーダーである。と。

普通に考えれば、周囲から敬愛されるリーダーが理想的のように思われるものの、更に上があり、自分の功績はおろか、存在すら意識させることなく、組織を自然により良い方向に導くことがリーダーの本来の役割だと言う。

『理想のリーダーは、ただそこに居るだけでいい。』と。

そして、【信足らざれば〜】に書いてあるように、まず言動と行動を一致させ、誠実であること。信用しなければ信用されない。 表だって、説教もせず、何も語らない、何もしていないように見える。役目が終わったら、静かに去っていく。

そんなリーダーが理想であると老子は言う。

まさに高倉健の実直な生き方に当てはまるだろう。

今後、リーダーシップを発揮しなければならない人には、安くてチンケな「リーダーシップ」ではなく、ずっしりと重く、芯が深くて責任のある「リーダーシップ」を発揮してもらいたいものである。

参考

 

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