こんにちはtestaroです。
今回は先日「狂言」を見て参りましたので、その観劇レビューを軽く書こうかなと思います。
実は私、今年に入ってから「能•狂言」を見る機会が増えました。
何度か観たことはあったのですが、それも子どもの頃のお話。
それ以降は全く足を運んではいなかったんですが、食わず嫌いと言うか惜しいことをしていたなと、最近になって思います。
ムズカシイことはよくわかりませんが、ちょっとその魅力にハマりつつあるのです。
で、今回観てきましたのは、世田谷パブリックシアターにて上演した野村萬斎プロデュースの「狂言劇場その八」です。
野村萬斎が芸術監督を務める世田谷パブリックシアターで父:万作とともに毎年上演しているシリーズ作品。
古典芸能という枠にとどまらず「“舞台芸術=パフォーミングアーツ”としての狂言」というコンセプトに基づき、2004年にスタートしたのがこの『狂言劇場』らしいです。
世田谷パブリックシアターってこんなとこ
今回の会場は野村萬斎が芸術監督を務める世田谷パブリックシアター。
三軒茶屋の駅スグのキャロットタワー内にございます。
名前だけはよく耳にする劇場でしたが、今回初めて伺いました。
結論から言うと、この劇場大変気に入りました。
少しこじんまりとしたオペラハウスのような作り。
二階、三階席の傾斜も角度が高く視野も広いです。
座席数は700席程。(可変式)
また、劇場といっても内装やデザインにも凝っております。
まず目についたのが、岩肌のような岩壁のようなそのしつらえ。
音響効果を気にして、抵抗の無い滑らかな壁面にするホールが多い中、あからさまゴツゴツとしたその様相…(それでいて音は大変クリアでした)
そして天井には、壁面の無骨さとは打って変わって、真っ青な空が描かれています。
なんでしょう、劇場の中にいるのに、コロッセオの中にでもいるような気分になります。
それもそのはず、どうやらギリシャの野外劇場のような伝統古典演劇劇場をコンセプトとしているようです。
しびれますねぇ。
舞台本番が始まる前からワクワクさせる仕掛け、大変結構であります。
非日常の空間に来た感じが一層高まりますからね。
もちろん機能性も充実しており、例えば客席の段床の角度を自由に変えたりも出来るそうです。
世田谷パブリックシアターは、現代演劇と舞踊を中心とする専門的な活動と、市民の自由な創作や参加体験活動を通し、新しい舞台芸術の可能性を探る劇場です。
世田谷パブリックシアターとシアタートラムの2つの劇場のほか、稽古場や作業場、音響スタジオなど「舞台作品創造」のためのさまざまなスペースが用意されています。
また、単なる施設だけではなく、作品創造のために芸術監督や制作・学芸・技術分野の専門スタッフを配置した新しい運営スタイルは、全国の公共劇場から常に注目されています。〜世田谷パブリックシアター公式HPより引用
『狂言劇場』の舞台について
歌舞伎よりずっと歴史が古く、600年以上続く狂言。
その継承者として、日本のアイデンティティーを背負い、世界を見据え発信を重ねてきた野村萬斎。
その萬斎の拠点の一つが、芸術監督を務める公共劇場「世田谷パブリックシアター」であり、芸術監督に就任したのはなんと36歳という若さのとき。
そしてその拠点で、古典芸能という枠にとどまらず「“舞台芸術=パフォーミングアーツ”としての狂言」というコンセプトに基づき、2004年にスタートしたのがこの『狂言劇場』であります。
いわば西洋的な劇場空間に日本の伝統古典の能舞台を表現しています。
写真がなくてわかりずらいのですが…
まず下の写真のようなものがいわゆる能舞台です。
能楽堂とよばれる能舞台と観覧席が用意されたスタンダードな能の上演施設はこのパターンです。
客席側から見て、舞台正面と左手側から見ることが出来、その左手側に「橋がかり」がございます。
図で表すとこんな感じです。
で、これを劇場の中で再現するわけですが、世田谷パブリックシアター内にセットされた能舞台はこんなご様子。
非常に雑な絵で申し訳ないです。
客席側にややせり出すように中央に能舞台が位置。
そこから左右に八の字と後ろに一文字に「橋掛り」が三本延びます。
狂言を上手側(舞台右側)から見たり、この距離で見たり、あるいは2階3階席のような上から見ることなんてなかなか出来ない経験じゃないでしょうか。
能楽堂の能舞台ではなく劇場内の能舞台で見せる狂言は、狂言とは確実に違うまさに狂言劇場でした。
Bプログラムの内容とでくのぼうじゃないのぼう様の力に圧巻!
この「狂言劇場」はAとBのプログラムに分かれております。
私はBプログラムを見て参りました。
小舞『海道下リ』『蟬』
狂言の舞踊性が凝縮された小舞です。
旅路の情景を描写する『海道下リ』、敏捷な所作に富む『蟬』の二本立て。
「蟬」は萬斎による舞。蟬の一生を表現した舞はもちろん、時にテンポよく、時にユーモラスな内容の小舞謡も聞きどころで、「つくつく法師になりにけり」の最後は、個人的にツボでした。
足拍子に始まり、あっという間にその世界に呑まれました。
きれいで美しい…
どうやったらあんなしなやかに動けるのか。
またひとつひとつの所作や型がビシッと決まっており、かっこいいのなんの。
のぼうのくせに…笑
『文山賊』
悪党になりきれない山賊の対話劇。
ちょっとした言葉の勘違い•やり取りの失敗から狙った旅人を取り逃がしてしまい、二人の山賊は仲間割れをします。
臆病なくせについに二人は果し合いを始めます。(なんだかお笑い芸人「アンジャッシュ」が得意とする勘違いネタのショートコントのようなお話。笑)
が、何かと理由をつけてまったく事が進みません。互いにけがを恐れ中途半端な攻撃のみ。
挙句、「こうして決闘を始めたが、誰にも知られずに死ぬのは空しい」などと抜かし、一人が書置きしておこうと提案します。
で、早速文を書き始めるものの・・・今度は書き出しでつまる。
「一筆啓上せしめ候」でもおかしいし、「新春の御慶」でもおかしい、ううむ…と、うなる山賊。
見てるこっちはイライラマックスです。笑
すると、もう一人の山賊が「今朝かりそめに家をいで、山立ち損ずるのみならず…」とすらすらと書いて見せ、なかなかうまい出だしだとなって、互いに一緒に読み合わせようといって、謡がかりで手紙を読み合います。
そんなこんなで、妻子にあてた手紙を読むうちにふたりとも泣き出してしまって、果し合いなど止めればいいのだということになって連れ立って帰っていきます。
という実にのんきでとぼけたお話。
山賊と聞いて、芥川龍之介的な雰囲気とか中島敦的な世界観を想像していると拍子抜けしますよ。
「山賊のやりとりにおかしみを感じながら、最後にはしんみりとさせる秀作です。」
とパンフレットには書いてございました。
たしかにこの他愛ない筋書き。筋が他愛ないだけ、とぼけた演技の味で、観客を喜ばせなければならないですし、愛嬌あって愛されるキャラに仕上げなきゃいかんですもんね。
なかなかムズカシイことをやってのけてる、と狂言の奥深さを感じた次第です。
『歌仙』
和泉流独自の大曲とやらのこの作品。ざっくりいうとこんなお話。
①和歌の神へ絵馬を奉納する。
②その絵馬に書かれた6人の歌仙が動き出し、月見の宴を始める。
(メンバーは柿本人丸・僧正遍昭・小野小町・在原業平・猿丸太夫・清原元輔というこれまた有名な歌人たち。)
③はじめの和気あいあいとした雰囲気も束の間!和歌サークル内の紅一点「絶世の美女・小野小町!」を巡り不穏な空気が漂い始める。
④僧正遍昭と小野小町がデキてるだのなんだの囃し立て、いざその仲を見ると嫉妬心を燃やすメンドクサイ酔っぱらいども。
⑤各々戦闘態勢に入る。(変身します)
⑤武器を手に殴り合ったりなんだり。
⑥小野小町参戦
⑦終戦
というまあ一言で言えば、「セクハラパワハラのオンパレードな酔っぱらいのお話」です。
ザ•ドタバタコント。なんでしょう、平安時代の吉本新喜劇かドリフといったとこですか。笑
和歌に秀でているのに俗物な柿本人麻呂(野村万作)がいたり、
僧侶なのに煩悩にまみれてたり、(野村萬斎)
歌のプロたちが詠む歌は、全部隠語まみれの品のある「下ネタ」!
王朝絵巻などとはほど遠い、くだらん恋合戦。
まさに、狂言の神髄「パロディー」です。笑
実に奥が深い「笑い」でした。
着ている装束はなんとも美しいですし、歌人の皆様の声もよく響き心地よく、萬斎のうざったさは絶妙。
このハイクラスの実力者たちだからこそ、こんなにも面白いんだろうなと痛感しました。
(ちなみに、戦闘態勢に入るとき、装束の袖をたすきがけしてまくしあげるんですが、それが仮面ライダーとかの変身シーンみたいに思えたのは私だけでしょうか。)
劇場ならではの演出
劇場ならではの演出もありました。ほんの少しだけ。。
まずは、照明。
照明に青い光を混ぜ、月明かりの夜の雰囲気を出していたり、絵馬の登場シーンもおぼろげな明かりにしたり。
ストレートプレイでの照明のようでした。
能楽堂では単一の光しか無いのでこんなようなことは出来ません。
が、やみくもに使うような下品さはなく、「狂言」らしい無駄を削ぎ落とした光の使い方でした。
そしてニクいのが絵馬の演出。
絵馬を奉納し、その絵馬に描かれていた人物達が動き出すというシーンを見事に表現します。
スクリーンに映像で絵馬のである台形を投影します。
そしてスクリーンに当てられた映像との間に歌人達が並び、その影が背後の、絵馬の形取られた映像に影絵として重なり、まるで墨で書かれたかのような絵馬が出来上がります。
やがて、その歌人の正面にも光が当たり、黒いシルエットしか見えなかった各人が色味を帯び、その姿形を露わにします。そして舞台最前へと闊歩してくる…
この演出がとても幻想的で、全編通しての目玉でもありました。
(むしろ、ふだんの能舞台ではどのようにやっているのでしょうか…)
これこそ、「舞台芸術としての狂言」を体現していたように思えます。
終わりに
冒頭に、観劇レビューを軽くとか言っておきながら全然軽くなりませんでした。
おまけに、萬斎にはそんなに触れず…
狂言や能について正直そんなわからん私testaroですが、やっぱりライヴで見ると魅力を感じます。
何よりも日本語。
日本語の「音」としての魅力です。
我々が普段話している日本語は非常に平坦でのぺーっとした発音ですが、彼らの発する日本語は、深く響き明瞭な発音。
ひょうきんな声から怒りの声までその声色は豊富で洗練され、声だけで細かな違いまで表現していることに驚きます。そして時にぞくっと来るときもあります。
野村萬斎と野村万作はその意味において群を抜いていたように個人的には思いました。
やはり野村家、ただ者じゃないです。(まして、でくのぼうなんかでは…笑)
狂言でありながら、まるで現代劇を見ているようでした。
狂言劇場という名を「劇場」でやる「狂言」と捉えていましたが、まったく違いました。
いわば「狂言×劇場」。
狂言でもって世界を生み出す。ドラマを生み出す。そういう意味での劇場なんだと。
そりゃそうですよね、浅はかな小手先の舞台演出なんかより、連綿と受け継がれてきた型が狂言にはあって、それを現代演劇で用いることで普遍的な価値が生まれていくような気がします。
よくわからないまとめになりましたが、今後も「能楽」の世界をもっと感じられるように精進したいと思います。
野村萬斎を知る上で一読すべきインタビュー記事
「『職業は?』と聞かれたら『野村萬斎』と答えたい」と語る男前な野村萬斎。その萬斎の魅力を満載に伝えるためにインタビュー記事を紹介します。
http://www.performingarts.jp/J/art_interview/0707/3.html
http://www.nohkyogen.jp/kensyo/int/42/42i.html
http://snn.getnews.jp/archives/261170